2021/7/28 「ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊 塩野七生 新潮社」

2021年7月28日水曜日

ギリシャ 塩野七生 新潮社 歴史

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ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

 ライバルがいなくなったペリクレスが行なったことはペルシャとの講和。キモンの主導でスパルタと休戦条約が結ばれているあいだにペルシャと正式な講和をおこなう。ペルシャの側も本格的な侵攻こそなかったが、トルコ半島のギリシャ系の諸都市に圧力をかけてくる。キモンが亡くなったことでこれを撃退することが難しいと判断したのかもしれない。結果的にこの講和は40年間も有効であった。

平和が確保できたことでパルテノン神殿の建設をおこなう。以前の戦争で焼き払われていたアクロポリスの丘の上のアテナ神殿を大々的に再建した。すでに国際都市となり文化の中心となっていたアテネにふさわしい神殿をつくるという思いがあったのだろう。

さらにガレー船の漕ぎ手に給料を支払うという制度を作った。ガレー船も漕ぎ手は一番資産が少ない階級の人々であり、日々働かないと生活できない人々であった。他の階級の人々は無償で重装歩兵になっているが、海軍大国のアテネでは軍船の漕ぎ手となる人々が従軍したせいで生活できなくなるようでは軍が成り立たない。ちょっと考えればわかることのような気がするが、当時のあたりまえではなかったということなのだろう。プラトンでさえこの政策に『アテネ市民を物乞いに変えた』と非難した。民主政と言っても奴隷の働きで生活している人々には、自ら働かなければならない人々のことはわからなかったのだろう。だとするとペリクレスは超資産家であったのにそのことに着眼できたことがアテネの黄金期をもたらしたのだろう。プラトンにそこまで言わせるような『過激な民主主義者』が超資産家の第一階級で名門から出てくるのがすごいところだと思う。民主政という仕組みはアテネにしかなかったようなので、そう考えると繁栄を極めたことが奇跡の様に思える。

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