秦野市に住むことになったので、なにか地史のような本を探していたら、地元の本屋で見つけました。著者の湯山氏は神奈川県の郷土歴史家で、「相模武士」というシリーズもあります。
もう故人ではありますが、生前に偶然お会いすることがあり「相模武士」シリーズを読んだことから、本屋に湯山氏の本があれば手に取るようにしています。
秦野市はかなり歴史が古いということは漠然と知ってはいました。 今回の本は波多野氏をメインにしているので平安後期から戦国期までの歴史を取り扱っています。冒頭は保元の乱、平治の乱における波多野氏の描写があり当時かなり力のあった武将だったということがうかがい知れます。
それにしても保元の乱における源氏の棟梁、源義朝は、敵対した自分の親兄弟を打ち取ることになる、これは一族の力を弱めることになり、その後の平治の乱で負けた原因となっている。源頼朝の苦労はここから始まっていると思いました。その打ち取る役を波多野義道という武将が受け持っている。主君の親や兄弟(頼朝からみると祖父さんやおじさん)を切る役をいいつかるのだから、相当信頼されていたのだろう。その後の平治の乱で源義朝自身も打ち取られてしまい、平氏の世が来るわけです。
波多野氏の娘が源義朝の妻となっていて、次男の朝長を産んでいることが源義朝に仕えるきっかけとなっているのではないかとされている。これは知らなかった。ちなみに長男は三浦氏の娘との間に義平(鎌倉悪源太義平) 次男が朝長、三男が源頼朝(熱田神宮の宮司の娘が母)となっている。大河ドラマで三浦氏は不遇だとぼやいているが、頼朝の兄の縁者だった訳だからもう少し待遇がよくてもと思ってしまう。それにしても、大河ドラマに波多野氏が出てこないように思うが、どうも源頼朝の挙兵の際に様子見だったらしい。その後攻められて領地を失っているようだ。波多野氏の歴史はまだまだ続くので続きは次回。
それにしても4ヶ月も投稿してなかった。次回が4ヶ月先にならないようにしよう。
今回は丁度良いリンクが無かったので、こちらを紹介しておきます。
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