2022/9/18 波多野氏と波多野庄 興亡の歴史をたどる 湯山学 夢工房

2022年9月18日日曜日

秦野市 湯山学 夢工房 歴史

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またもや時間が空いてしまった。あいも変わらず「相模武士」の画像を貼っておきます。

さて、波多野氏ですが、今までずっと秦一族なのかと思っていましたが、出自としては佐伯氏ということです。 平安末期の頃前九年の役で源頼義に従い東国に遷ったということです。その際に秦野に住んだことで「波多野」と名乗ったということです。

ちなみに秦野は摂関家の荘園だったようで、荘園の管理者が武士となっていった経過が鎌倉時代であるということになります。

波多野氏は秀郷流藤原氏にもつながるようで、婿養子に入って一時期藤原姓を名乗っていたこともあるということです。このあたりの入り組んだ系図の解明が読んでいて面白いです。

佐伯氏といえば伝統ある家柄ですが、秀郷流の名前はそれよりも魅力的だったのでしょうか?なんといっても将門の乱を平定した人物ですから、その一族に名を連ねるのは当時としては武門の誉なのかもしれません。

その後、頼朝の挙兵の際に協力をせず領地を取り上げられました。前回書いたことですが、頼朝の兄の母が波多野氏出身ですから味方してもいいような気がします。しかし、頼朝に敵対した大庭景親とも縁者だったようで、であれば大庭氏に味方すればよいような気がします。結局どちらにも味方せず討伐されてしまいます。その息子の代で頼朝存命中に失地回復されてその後はかなり勢力を広げていきます。

和田合戦で波多野氏が一族内で敵味方に別れてしまい、領地の半分が北条義時のものになってしまいますが、分家筋の人々が繁栄していきます。

鎌倉時代は六原評定衆になった一族がおり、越前に領地があったようです。道元禅師を今の永平寺のある土地に招いた人物だそうです。文化的にも貢献していますね。驚いたのは大友氏です。あの九州の大友氏は波多野氏族の出身だそうで、承久の乱などで勲功を上げて領地を獲得し、戦国大名にまでなったんですね。後は丹後で明智光秀と戦った波多野氏は細川家の家宰のような立場から丹後で独立したようです。

本家の秦野市の波多野氏は北条早雲の相模平定の際に領地を失ったようですが、支族の松田氏は早雲の味方となり以後秀吉の小田原征伐まで繁栄していきます。

武士がいろいろな地方に移動していったということは知っていましたが、神奈川の小さな盆地からこんなにたくさんの地方に拡散していったとは驚きでした。

後半は秦野市内の史跡の紹介が載っています。実朝の首塚がなぜ秦野市にあるのかなど、いろいろ書かれています。自分としては歴史が好きですし、地方史の本が小さな出版社から出ているとそれだけで嬉しくなります。

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