対シラクサ戦での大敗北でアテネもいよいよ終わりかと思われたが、アテネ市民が一致して海軍の再建を行なった。敗戦により200隻あったガレー船が50隻になっており、デロス同盟の維持のためにも船の新造が必要だった。ニキアスもアルキビアデスもいないアテネは扇動者が政権を作っていたが、これを不信任して『老賢人内閣』とでも言うような政治家を選ぶ。『そこにいてくれるだけでよかった』と書かれているような内閣だ。『アテネ海軍の再起は、民間主導で成し遂げられる』とあるように富裕層から庶民まで一丸となって成し遂げたようだ。これがたった1年でなされたというのがすごい、著者は民主政の国だったからとしている。再起後すぐにスパルタの海軍が迫ってきたが、追い散らしている。このような状態にもう少し早くなっていればと思われて仕方がない。どうして扇動者の言に振り回されてしまうのか。
ここまで来てペルシャが動き出してくる。といっても自ら軍を出すわけではなく、スパルタにエーゲ海の東へ派兵するよう誘いをかける。この誘いに対しての外交使節としてスパルタからペルシャに派遣されたのがアルキビアデスであった。アルキビアデスはシチリア遠征の際に途中でヘルメス神像破壊の嫌疑をかけられアテネに連行されるはずだった。途中逃げることに成功し、スパルタに亡命していたのだ。しかも、スパルタの軍事顧問のような立場にまでなっていた。ペルシャに派遣されると今度はペルシャ側の軍事顧問になってしまう。そんなことが可能なのかとも思えるが、著者の評価では弁舌はペリクレスに匹敵としているくらいだから朝飯前なのかもしれない。そして、ペルシャからサモス島へ行きそこでサモス島のストラテゴスになる。アテネに復帰するためとはいえこんなにいろいろな国を手玉に取ってしまうとは古代とはいえちょっと信じがたい。そのままペルシャに落ち着けばテミストクレスの様だったが、アテネに戻ったのはアルキビアデスにとってもアテネにとってもよかったのか悪かったのか。
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