2022/1/7 ケインズ『一般理論』を読む  宇沢 弘文 岩波現代文庫

2022年1月8日土曜日

ケインズ 宇沢 弘文 岩波現代文庫 経済学 資本主義

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第三講からケインズの考え方が紹介される。ケインズの新しかった点は企業のとらえ方だったようだ。それまでの『古典派』では企業というものは、その時々の状況に応じて生産設備や労働力を組み合わせて最大の利潤を得るというとらえ方だった。しかし、ケインズはそのように簡単に生産要素を組み合わせることができず、実際のところ機械を導入したり、技術者を育成したりと、時間がかかるものであるという視点を取り入れたことだ。いくら抽象化して考えているとはいえ、ちょっと『古典派』の考え方は乱暴すぎるだろう。そう簡単に設備を入れ替えたり、熟練労働者が違う分野の仕事をしたり、ということが難しいというのは当たり前のような気がするが、『古典派』経済学ではその辺りのことが無視されていた為、『完全雇用』などということが前提とされていた。

ある製品を生産しようとして、設備をそろえたり、労働者を雇ったりということには時間がかかる。完全に稼働できる状態になった時の市場状況が、生産しようとしているものが売れないような状況であったら話にならない。企業は先を見通して『期待』をして設備投資をする。『期待』という概念がそれまでの経済学にはなかった、宇沢氏がこの本を書いていた当時、ケインズ批判をする『新古典派』がケインズには『期待』の概念がないという事を主張していたらしいが、それはあたらないとしている。宇沢氏はフリードマン等の学説と対立していた人なのでちょいちょい『新古典派』にたいする言及がある。

利子生活者については『ケインズは、・・・利子生活者の利益によってイギリス経済が影響されすぎたことを憂えて、利子生活者の安楽死をもたらすような政策をとらない限りイギリス経済の将来はない』と訴えていたという。企業が発行する株式を購入し、企業を所有するということで『私企業における経営と所有の分離』という現実が起きる。『新古典派』の想定ではこのような現象は起きないことになっているという。また利子生活者は株式を保有して配当を得るということよりも、『株式市場価格の変動にともなうキャピタル・ゲインを求めて保有するという動機の方が支配的』であるため『株主の集団は、常に変化して』誰が株主であるかということが確定化できない。本当に株式というのは何のために発行しているのか、元々の役割に限定した方がよいのではと思う。セドラチェク氏の本にもアダムスミスはキャピタル・ゲインを得るような株式の在り方には反対していたと書いてあった。

『古典派』では社会を構成する要因は、個人にしても投資家にしても『整合的に考えて合理的に選択する』ものであるとされているのに対し、ケインズの考えでは『生産・投資をする経済主体』の『企業』と、労働者と利子生活者をあわせて『消費、貯蓄を決定する経済主体』の『家計』に分けて考えている。これをケインズの『二分法』というらしい。

ほんとうに読むほどに『古典派』経済学というのは、よくまぁそれで機能していたなと思う。

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