2021/12/7 昨日までの世界 文明の源流と人類の未来 上 ジャレド・ダイアモンド 日経ビジネス人文庫

2021年12月8日水曜日

ジャレド・ダイアモンド 社会学 日経ビジネス人文庫

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昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

第二部の『平和と戦争』の後半は戦争を取り扱っている。伝統社会での戦争というと槍や弓での小競り合いというイメージだが、かなり苛烈な争いをおこなっている。一章を割いてニューギニアで記録された部族間戦争の描写をしている。様相はお互いに報復合戦をしているので、何時まで経っても終わらない。論理的にはヤ〇ザの抗争みたいだ、昨日〇人殺されたので相手側の〇人を殺すというような感じで進んでいく。まれに村人すべてが虐殺されるという事態も起きる。

このあと現代の戦争と伝統社会の戦争の類似点と相違点を検討している。伝統社会では騙し討ちがあるという点と、現代社会では自己犠牲があるとしている。騙し討ちは戦国期の日本にもあったよなぁ、ということはあの辺りは伝統社会という区分になるのかなぁ。自己犠牲のところでは特攻のことが例として挙げられている。国の為に戦えという命令は忠誠心を教育しないと成り立たないと指摘している。最近NHKで戦中の日記を解析していたが、教育というものは本当におそろしい。

職業軍人の存在も伝統社会にはない。余剰生産があることで非生産者を養える、小さな部族ではそのような余裕はない。同じ理由で捕虜もない、伝統社会ではすべて殺されてしまう。余剰生産があるような社会では労働力として、あるいは身代金を目的に捕虜とされる。

近代戦で史上初めて殲滅戦をおこなったのがアメリカ南北戦争のシャーマン将軍だったらしい。再読なのにこのことはすっかり忘れていた。『戦時の用途の支援になるものをことごとく破壊し、南部人の戦意を喪失させたのである』『われわれは敵対する軍と戦っているだけでなく、敵対する人民とも戦っている』『戦争に対する嫌悪感を植え付けなければならない』という理由だったらしい。やられた方はたまったものではない。

戦争を行う理由は土地や資源を目的とする、伝統社会の戦争での資源の中には女性も含まれていることもある。近代戦は敵の土地や資源を奪えば終結するが、伝統社会での戦争は報復の連鎖で終わりが見えず、疲弊しきるまで行われる。中央集権化した政治機構を有する社会では終戦の際に交渉窓口があるが、部族社会では意見の統一をはかることが難しく、不満を抱いて新たに戦争を始めるものが出てくるのを止められない。階級差が少ない伝統的社会では押さえつける権力がないからだ。戦争の悪循環が繰り返されないようにするのが『国家が存在するにいたった主たる理由』としてルソーを引いているが、ただしルソーの言うようにできた国家はないとも書かれている。

ニューギニアで部族間の戦闘がどのようにして無くなったのかというあたりの話がおもしろかった。オーストラリアやインドネシアが統治に乗り出してきて銃の威力を見せつけられると、国家の治安に服し部族間闘争はなくなったそうだ。平和になった後、本当は戦争が怖かったというニューギニア人の話が載っている。銃を持っているのは数人の警官しかいないので戦争を続けたければ可能なはずなのだが、ニューギニア人は国家の効用を理解しそれに乗ったのだろうという。

集団になると感情の暴走が止められなくなってしまうのが人間なのだろうか。元々の原因は人口が増えたりして土地が手狭になった等が原因だった小競り合いが、面子の問題となり止まらなくなる。あげくどんどん人が死に人口が減ってしまうのでは何のための戦争なのかわからなくなる。怖いし止めたいと個々が思いながらも、集団になると続けていってしまうのだろう。

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