2021/12/6 昨日までの世界 文明の源流と人類の未来 上 ジャレド・ダイアモンド 日経ビジネス人文庫

2021年12月6日月曜日

ジャレド・ダイアモンド 社会学 日経ビジネス人文庫

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昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

第二部は『平和と戦争』と題して他集団とのトラブルの回避について書かれている。冒頭かなりの紙数を使ってニューギニアで起きた交通事故について書かれている。スクールバスの陰から飛び出した子供が車に轢かれて亡くなる。車を運転していた人物と、轢かれた子供は違う部族に属していた為、ちょっと日本では考えられないような展開となる。

現代社会であれば警察での聴取とか、過失割合がとか、保険会社を通してとかいう感じで話が進んでいくのではないかと思う。ニューギニアでは運転手は自分の村にかくまわれ、襲撃に備える。一方で運転手は仕事中の事故だったので、会社の社長が調停者を立てて子供の部族と話し合い調停の儀式と賠償が行われる。

この調停の儀式というのが現代社会ではない部分で、本当に事故に遭った時に理不尽さを感じる原因だろうと思う。加害者側は心からの哀悼の意を表明し、申し訳ないという気持ちと痛みを共感していることを伝える。被害者側も事故は仕方がない事態だったという認識を示し、弔問にたいして感謝に気持ちを述べ、報復の気持ちはないという事を伝えるというものだ。

現代社会ではシステムに代行させてあまりにも自分のことを自身で面倒を見なくなっているのではないかと思った。自身の経験でも事故にあって怪我を負ったが、当事者はついにこちらに対して詫びを入れにこなかった。名刺にはどこかの会社の会長と書かれていた。さんざん渋られた後に保証はされたが、金さえ払えばいいものなのかと感じたことを思い出した。

伝統的社会では被害者と加害者が顔見知りであるとか、個人の問題ではなく部族どうしの問題になってしまうとかという事情があり、人間関係の修復に力点が置かれている。現代社会では被害者と加害者が事件の後も顔を合わせる可能性が低く、一時の調停が成立し秩序が維持されることに主眼が置かれている。

部族社会のような調停に失敗した場合にコミュニティどうしが対立するような事例は困るが、現代社会の法律による解決も万能ではない。著者は弱者の保護という点で見れば現代社会のほうが守られている、刑事司法と民事司法があることで犯罪の抑制につながっているという。もちろん本当に和解が得られるような解決は期待できないのは代償なのだろう。

方法はことなるが『自明の事』という事で見れば、事故または犯罪に対する謝罪と共感、賠償もしくは報復もしくは懲罰をどのように行うかというあたりが共通事項と言えるか。精神活動として『自明の事』があるのはある意味当然だが、その後の振る舞いがかなり違う。

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