最近読んだ本のなかで共通の問題意識になっていると思ったのが倫理問題だった。倫理の問題を考えた時に各地のいろいろな文化により異なることもあるよなぁと思ったのだが、マルクス・ガブリエル氏は自明のものだという話をしていた。しかしそれは説得力があるようなないような、どういうもんかなぁとも感じていた。『銃・病原菌・鉄』が大ヒットしたジャレド・ダイアモンド氏の本に『昨日までの世界』という本があったなぁと思い出し、読み返してみることにした。
『銃・病原菌・鉄 』と『文明崩壊』と『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』は草思社文庫から出版されたが、『昨日までの世界』は日経ビジネス人文庫から出版されている。正直、草思社のコーナーばかり探していてなかなか見つけられなかった思い出がある。見つけた時、カバーがなんとなく草思社の本のような雰囲気で笑ってしまった。比べてみるとフォントが草思社のものの方が好みだった。翻訳は『銃・病原菌・鉄 』と同じ倉骨彰氏がおこなっている。
『銃・病原菌・鉄 』と『昨日までの世界』はどちらもプロローグ部分がニューギニアから始まっている。ニューギニアは1931年まで鉄器もない原始的な社会が続いていて、その後現代社会に仲間入りした社会なのだ。爺さんはコシミノで暮らしていたのに、孫はパイロットになっているという大激変を体験している社会だ。どうしてニューギニアでは文明が発展しなかったのか?というニューギニア人の問いに対しての答えが『銃・病原菌・鉄 』という本になったと書かれているが、『昨日までの世界』は人類のいろいろな共通項を伝統社会の例で検討することで見つけていこうという本だと思う。
プロローグの中で触れられているが、現代社会の研究ではなく伝統社会を研究するのはなぜかというと、心理学の被験者となっている人たちは96パーセントが西欧文化圏の人々で、その中のほとんどが心理学の学生だったという。これは一般に流布している実験結果がいかに胡散臭いものかという事だ。このあたりはルドガー・ブレグマンの『希望の歴史』もそういった本だったと思う。
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