2021/11/12 未来への大分岐 マルクス・ガブリエル マイケル・ハート ポール・メイスン 斎藤幸平・編 集英社新書

2021年11月14日日曜日

マルクス・ガブリエル 斎藤幸平 資本主義 集英社新書

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では『新実在論』とはどういうものかというと、見たままのものは在るということらしい。なんだそれ?という感じだが、今までの哲学がいろいろこねくりまわしてよくわからなくなっていたものが、一周まわって基本的なことから始め直すという感じか。今までの実在論と違うのは主体/客体という仕切りが無いことらしい。実在する物は実際に有って、なおかつ人間の認識としてもあるという、ん?なんか至極あたりまえのことのような。しかし、いままでの哲学は認識がすべてで外界は幻想だとかいう二元論や内面に落ち込んでいく的な話になりやすいところからするとシンプルだ。実際にさわれるものだけでなく、正義、美、数式などの観念的なものも『態度を合わせることができる』ものはすべて実在しているとする。

それでいて『世界は存在しない』という。『世界』というのは『全てを包摂する全体性』という意味で、そんなものに『態度を合わせられる』のは神様くらいではないか。そういう意味では『世界は存在しない』けれども、『態度を合わせられる』複数の領域があり、それを『意味の場』と呼ぶ。個人の中にたくさんの『意味の場』がありレイヤーの様に重なっているという。

『しかし、それは「ポスト真実」の状況に近いように聞こえます』と斎藤氏が問い、マルクス氏が『「すべてが存在すること」=「すべてが真実であること」、「存在するものは理にかなっている」ではありません』と答えている。社会進化論のような論法もダメということか。では『真実』かどうかはどうやって決まるのか。物事や概念にたいする態度の合わせ方は個々人に任されているわけだから、どんでもない態度をとる人もいるはず。ここではトランプ支持者が例として挙げられている。

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