2021/11/11 善と悪の経済学 トーマス・セドラチェク 東洋経済新聞社

2021年11月12日金曜日

トーマス・セドラチェク 経済学 資本主義 東洋経済新聞社

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善と悪の経済学

終章は『ここに龍あり』このタイトルは注を見ると古地図の未踏査部分の白く抜けていた部分に書かれていた言葉ということである。まだまだフロンティアはあるという意味だろうか?

終章は今までの内容のまとめになっているので、そのあたりは割愛していく。『経済学から意味や倫理や規範性が抜き取られて久しい』として主流派経済学をゾンビにたとえ、このままでは人間のものではない別のルールが作り出される。非現実的な経済学が世の中に影響を与えている状況は害悪でしかないとしている。最近の話だと大手のSNSの問題がリークされて会社の対応が問題になっている。ほとんどの倫理的な問題を把握していたのに、さらに死者まで出ているのに、利益のために対応をしなかった。ただのツールではないかという事であれば、なぜ銃が規制されているかと同じ理屈になると思う。守るべき倫理というものを守るということは、安心して暮らしていけるという事だ。世界には銃を抜き身で持ち歩いても良いという法案を通すところもあるので、何が正しいのかということはそれぞれなのだろうけど、他者を尊重するというのは社会を営む上で基本的な倫理ではないだろうか。

 このようなことが起きるのは成長資本主義の為であり、その根拠となっているのが主流派経済学である。ここでたとえ話で説明がされる。居酒屋に三人の客がいて、ビールが二杯しかないとする。だれがビールを飲むのか?『いちばん貧乏な人がビールなしで済ますか、それとも一番の金持ちか、それとも女性だろうか。酒好きに譲ってやるべきか、それとも一度もビールを飲んだことのない人に譲るべきか。いや、居酒屋の主人に権利があるのだろうか』長く引用したがこれは『哲学(権利とは何か)、倫理学(どうすれば公平か)、社会学(社会的地位はどんな権利を生むか)、心理学(どう行動するか)』というような問題が絡んでくる。主流派経済学の手法で分配の問題を解決すると不公平感がのこるだろう。三杯目のビールが供給されれば問題は解決するが、もし三杯目のビールが提供できないとなればどうなるか。『成長が万事を解決してくれると信じ切っている』『今日だけ、人々は不公平を問題にしている。これは、成長資本主義が危機に瀕しているからだ』

しかし、人間の本性として欲望に際限がない。『人類はすすんで快楽主義的プログラム(供給を増やす)を選び・・・欲望の自制は人間にゆだねられている』『私たちはすでに満たされている』ことに気づき、改めていかなければならないだろう。経済学は異なる分野と連携して間違いをみとめ修正しなければならないとしている。

読了。主流派経済学にたいする異議申し立ての本でした。成長資本主義、新自由主義、とどう呼んでもよいが現在の状況に対する危機感は伝わってきた。もはや成長はおさえなければならないことは気候問題などからわかっていることだし、ものが有り余っているということも自明のことだ。資本主義自体は信用で交換をやり取りするという意味であれば残っていくだろうが、マネー工学のようなものはかなり胡散臭いものだという常識になっていくのだろう。そういえば自分が子供の頃は株式投資なんてかなり胡散臭く感じたなぁ。

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