2021/11/9 善と悪の経済学 トーマス・セドラチェク 東洋経済新聞社

2021年11月10日水曜日

トーマス・セドラチェク 経済学 資本主義 東洋経済新聞社

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善と悪の経済学

第12章は『メタ数学』となっている、いよいよ経済学の中の数学について検証される。現在の経済学の本は『字が読めない程度に離してみたら、物理学の教科書そっくりに見えるにちがいない』と書かれているほど数式とグラフに埋め尽くされているらしい。20世紀に入って『経済思想は、決定論、デカルトの機械論、数学的合理主義、単純化された個人主義的功利主義の影響』を受けて変化した。『コンピュータ技術の出現により、膨大な量のデータを処理し、新しい仮説を効率的にテストする』ことで発展のスピードがアップする。

この現象に期待をかけたのは旧ソビエト圏の中央経済計画担当局だったらしい、最適な価格設定を市場原理に変わって決定しうると考えた。しかし東側諸国ではうまくいかなかった『計画経済が破綻した原因の一つは「最適な」人間の行動を設計できなかったためだろう』としている。むしろ、市場原理をエンジンにしている資本主義の国々で数学モデルと経済予測が発達した。

数学を駆使した経済学は自由市場経済をリードしていくが、決してうまくいっている訳ではない。株価の変動を説明する「ランダムウォーク」という理論を提唱したアーヴィング・フィッシャーは1920年の大暴落を予測できず、ほとんど全財産を株式投資していた為失ってしまった。その後も何度も暴落があったが予測は投資家を守ることが出来なかったという。人間の行動には『どうしてもモデル化できない、予測できない行動が存在するのである』数学は便利で有用なツールだが『数学で現実世界を網羅的に記述できるとする一部の経済学者の信念には、賛同できない』としている。

数学は抽象的な学問で、自然界のある事象が計算を使うと理解しやすくなる。バートランド・ラッセルによると『数学とは、何について語っているかを知らず、語っていることが真であるかどうかも知りえない学問であると定義してよかろう』としている。数学自体はエレガントで正確で客観的に見え、普遍性をそなえているが『人間の頭脳の産物』である。『現代の理論経済学の大部分は、仮説を使った知的ゲーム以外の何物でもない』というディアドラ・マクロスキーの言葉を引いて、その知的ゲームで世界を解き明かせるとしているのが誤りとしている。なんといってもクルト・ゲーデルが不完全性定理を発見してから数学の命題は必ずしも証明できるとは限らなくなってしまった。

それでも経済学には世界を方程式で解き明かすという考えが根を下ろしているらしい。『経済学者が数学を援用するからといって、経済学が科学だということにはならない(数秘術だって数式を駆使する)』経済学はあくまでも社会学の一部門であり『幅広い社会学的アプローチをしばしば無視し』ていることは『責めてよいと考える』としている。

旧ソビエトの時代よりはるかにコンピュータ技術が発達した現代ではデジタル社会主義とかいう話も聞こえてくる。技術的に克服できるのだろうか?歴史が繰り返されるだけなのではないだろうかと思える。行動心理学とか行動経済学とかいうものが流行るのは、経済学が捨てた社会学的な側面を補うという性格があるのかもしれないと思った。途中、計量経済学を痛烈に批判している。ウィキで調べてみたが数式が山のように出てきてさっぱりわからなかったが、統計データを使っていろいろ予想するものらしい。『今日では経済学と言えば計量経済学』らしいが、あまり信用できないという印象を受けた。これもA・Iでディープラーニングとかすれば予測が当たるようになるのだろうか?だが、当たったからと言って何か意味があるとは思えない。

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