2021/11/3 善と悪の経済学 トーマス・セドラチェク 東洋経済新聞社

2021年11月4日木曜日

トーマス・セドラチェク 経済学 資本主義 東洋経済新聞社

t f B! P L

善と悪の経済学

マンデヴィルの後にアダム・スミスが取り上げられている。マンデヴィルのところでアダム・スミスはマンデヴィルの説を否定していたとか、『見えざる手』のアイデアもマンデヴィルが最初だったとか書かれていたが、結論からいうとよくまとまっていなかったせいで誤解が生まれてしまったのではないかと思える。

アダム・スミスの「道徳感情論」と「国富論」について『多くの点で両立しないように見える』『これ以上ないほどちがって見える』と書かれているが、アダム・スミス自身は「道徳感情論」 のほうがすぐれていると思っていたという。「国富論」の方が有名になり個々の人々が利益を追求することで社会が発展するという説の元祖のように扱われているが、そうではないらしい。『市場による分配がすべての社会に利益をもたらすと主張したことは一度もない』という。

『見えざる手』ということばについては、すべての著作の中で3回使っているらしいが、そのどれもが違う意味で使われている。「国富論」では市場の機能という使われ方で、これは有名になっている部分。「道徳感情論」では社会的な再分配という意味合いで使用されている。「天文学」という著作がありそこでは引力のような意味あいで使われている。これはもうこのフレーズが好きで使っていただけとしか思えない。

「国富論」でのアダム・スミスは利己心を自己愛といいかえ実質的にマンデヴィル的な意見を述べている。しかし『利己心は商売では重要だが、社会を成り立たせている原理であるとは考えていなかった』個々の利己心は個々の立場にとって必要なのはよくわかる、今風にいうとインセンティブがあれば熱心さも増す。ただ、社会を成り立たせているのはそれだけではない。このあたりをはっきりさせなかったので、『論争は今日にいたるまで続いており、経済学派を二分する主因になった』と指摘されている。

では社会を成り立たせているものは何か。「道徳感情論」では『人間の行動を支配するのは慈愛であり親切である』としている。利己心なのか慈愛なのかという事を経済学者はずっと論争してきたようだが、アダム・スミスはどちらの原理も重要と考えていた。利己心や効用だけでは『人間らしい社会が機能するとも思わなかった』共感があって『初めて人間の集団はほんとうの社会となる』

人間の理解として理性と感情は対立するものではなく、『人間の行動は感覚や感情や情念に導かれ、理性は正当化の過程で補佐的な役割を果たすにすぎない』という。この考え方はアダム・スミスの友人デイビィッド・ヒュームの影響がみられるという。理性は理屈付けをするだけで行動の動機は感情的なところから発しているというのはよくわかる。 

アダム・スミスは「国富論」の中の「利己主義」の部分が拡大解釈されて一人歩きしてしまった。一方「道徳感情論」の主張は主流派経済学から取り上げられず、『仮にそれが話題に上る場合でも、異端扱いだ』ということらしい。このあたりが最近は見直されてきているらしいので、早くそういう説が主流となるように経済学者は頑張ってほしい。世の中の風潮にまで影響があると思う。

QooQ