第二章は旧約聖書を取り上げている。先の章でも自然観についてユダヤとシュメールではかなり違うという話があった。この章を読むと、それだけでなくユダヤ文化の考え方が現代文明の基礎になっている部分が大きいということが確認できた。
ユダヤ文化は時間を線でとらえているところがそれまでの他の文化と比べて大きく異なるらしい。それまでの文化は時間は円環でとらえられているので、少しの変化があっても元の場所に戻ってくるため、進歩とか発展とかという感覚がなかったらしい。季節が廻ったり、月が満ちたり欠けたりというような感覚らしい。線で時間をとらえることで発展とか進歩とかという考え方で、けして元の場所に戻るというようなとらえ方にはならない。またユダヤ文化では来世の事が語られない。現世がすべてということになると考え方に違いが出てくると思う、来世の為に禁欲する必要がない。
また、一神教ということで英雄や王が神格化されない。『民主的な資本主義にとってきわめて重要』としている。絶対的な高い点をひとつ作ることですべての人が人間となって扱われる。自然も神が作ったものだから神聖なものではない、山や木に神が宿るとかそういうことはない。人間は神から自然の保護と世話という役割を与えられている。神の創造には秩序があり、これは人間にも認識できるとされていた。このことが観察し解明しようということで文明の発展につながる。
世界最古のマクロ経済予想としてエジプトのファラオの夢をヨセフが読み解いた話が取り上げられている。ヨセフの読み解きでエジプトは飢饉を回避できたのだが、読み解いてしまうことで予言の内容が回避され成就しない。経済学者が将来の予測を求められることに似ているのかもしれない。予言に基づいて適切な処置をすれば災厄は回避されるという考え方は運命論的ではない。
災厄が訪れる理由は神の教えを守らないからという倫理的な説明がされる。神の教えを守っている時は栄えて、『そうでなければ、経済と社会は危機に見舞われる』。現代の経済学から倫理の視点が消えたのはマンデヴィルの発想が実行されているからとしているが、最近になって倫理や信用についての重要性は再認識されているとも指摘している。ここでさらに命題が立てられる。『倫理は景気循環と関係があるのか、ないのか。人々の行動は経済環境に影響を与えうるのか。倫理は将来にも影響をおよぼすのか。』
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