著者は経済学が現在のようになってしまった事を残念に思っているのだろう。アダム・スミスはホモ・エコノミクスという言葉を使ったことが無いらしい。スミスが作ったとされる分業であるとか「見えざる手」であるとかは、スミス以前にもあったものであるという。スミスの貢献は倫理面にあると書かれている、そうなるとアダム・スミスという人物については間違った認識をしていたということになる。
先ずはギルガメッシュ叙事詩から取り上げられる。世界最古の物語から読み取るのは、労働について。王であったギルガメッシュは城壁建設のために民衆を家族から引き離し、労働に専念させる。民衆がこの横暴を罰してほしいと神に願うと、神はエンキドゥという人物を創造して送り込む。労働者を物として扱うことは支配者の夢であり、現在の経済学の中にも引き継がれている考え方だという。特に新古典派経済学において強く表れているという。話をギルガメッシュに戻すと、家族や友情など不要だと考えていたギルガメッシュがエンキドゥと友情を交わすことになる。神はギルガメッシュを成敗するためにエンキドゥを創造したのではなく、友情を経験させるために遣わしたということなのだろうか。結果的にそうなったという事であっても、話の奥深さになっている。
ギルガメッシュとエンキドゥは真の友となり、冒険に出かけて神々に立ち向かう。聖なる森を守っている怪物のフンババを倒して、森の木を自由に使えるようになる。この描写は自然が聖なるものから生産資源になったということを表しているという。ギルガメッシュが英雄になったのは『経済的な重要性を持つ発見や行為によって』であるということが読み取れる。神話の裏にはこういう事実が隠されているのだろう。ギルガメッシュが冒険に出かけることで、強制労働されていた人々は開放され、城壁の建設もストップしたようだ。
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