アテネでは民主政が疑われるようになっていた。ペロポネソス戦役が起きてからの一連の失政は民主政のせいではないかということらしい。アテネの知識階級は衆愚政にうんざりしていた。これらの層の人々から民主政のせいだと言われて始まったのが400人政権。はやく戦争を止めたいという思いからとった選択ではないかとしている。この時期までにペロポネソス戦役は20年が経過している。この決定に対して反対したのがサモス島にいたアルキビアデスだった。『アルキビアデスに人前で話す機会を与えたのは、大いなる誤りであった』と書かれているが、それほどすごい説得力があったのだろう。交渉に来たアテネの役人からサモス島の海軍の指揮官になることを認められる。これで正式に海軍を率いる資格を得た。著者の想像ではこの間スパルタとペルシャの間にくさびを打ち込んでいたのではないかとしている。
ギクシャクはしながらもスパルタが海軍を派遣しボスポラス海峡のあたりに出陣してきた。この頃になるとスパルタも海軍を出せるようになっているらしい。アルキビアデスの率いるサモス島の海軍も応援に駆け付けスパルタ軍をけちらす。アテネにとっては黒海沿岸からの小麦が途絶えては食料不足になる、何としても確保しておかなければならない航路であったのだ。
このタイミングでアテネ本国の政府が失政をする。デロス同盟の商船に5%の課税をしたのだが、アテネの船には課税していなかった。デロス同盟内の都市から抗議を受け取り止めることになったのだが、せっかくアルキビアデスが海戦で勝利してアテネ海軍が復活したという印象を作ったのに台無しにしてしまった。結局この400人政権は4ヶ月で崩壊、5000人政権となるがそれも1年で崩壊することになる。たぶんこの政策を行なったのは5000人政権のころだったろう。
結局のところ寡頭政であろうと民主政であろうと、わかっていない人々が政権を運営していれば失政をする。これを防ぐにはどうすればよいのか?
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。