2021/8/3 「ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊 塩野七生 新潮社」

2021年8月3日火曜日

ギリシャ 塩野七生 新潮社 歴史

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ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

 『デロス同盟』の基盤固めが出来たところで、西方への進出がはじまる。といっても既に西方には過去の時代に植民された都市がたくさんあり、空き地などは無い。シチリア島やイタリア半島の南部は『マグナグレキア』と呼ばれギリシア本国よりも豊かなくらいであった。ペリクレスのやり方は侵略ではなく、拠点を作り近くの都市と同盟するというやりかただったようだ。しかし、同盟と言ってもアテネの軍事力と『デロス同盟』を背景にして交渉されては、断ることなどできないだろう。対等であるかに見えて対等でない同盟をまとめるにはメリットが無いと難しいと著者の指摘がある。この頃ローマ人がギリシャ視察をしたのかもしれない、ローマの出した答えはギリシアとは異なったものになったと書かれている。

BC441年デロス同盟内でいざこざがあった。サモス島とミレトスという都市同士の争いがおきる。サモス島がミレトスと友好関係にあったプリエネという町を領有しようとした。アテネに関係者が集められサモス島の侵略行為が禁じられる判決が出る。しかし、サモス島側は不服として島内のアテネ海軍の基地を襲う。こうなってはアテネも軍をだすしかない。ガレー船60隻1万2千人を率いるのはペリクレスとソフォクレス。ソフォクレスはギリシャ悲劇の作家であるが、ストラテゴスに選ばれていたため指揮官として出征する。迎え撃つサモス側の指揮官もメリソスという哲学者であったらしい。軍務は市民の義務であるという意識が共有されているとしているが、それでいいのか?と思う。戦巧者がいない戦いは8ヶ月でサモス島側が降伏し、ペナルティは受けたがサモス島は自治を認められている。

サモス島への裁定の際や戦争が終わった後もアテネ内の反ペリクレス派が騒いでいることが書かれ『民主政の国のリーダーとは、並みの神経の持主では務まらない」と書かれている。既にこのあたりから衆愚政のデマゴーグが現れているような気がする。現代でフェイクニュースであるとか問題になっていることが古代から起きている。なんとも人間の倫理面は進化していないのか。

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