『ギリシャの今後の平和を討議する会議』を乗り切ったペリクレスは『デロス同盟』の改革を行なう。スパルタとアテネの不可侵条約のような形ができたので、『デロス同盟』内のことは他から口出しされない環境まで整えてしまった。『デロス同盟』内の負担は軍船と負担金であったものが軍船か負担金となる。アテネとキオス、レスボス、サモス以外の都市は全て負担金のみとなった。たしかに小さい都市が1,2隻船を出したとしても統率がとれないからよい判断だった。加盟都市が300を超えるとなれば大変なことだ。負担金はそれまでと同じように国力に合わせて割り当てられた。GDPなどのデータが無い時代にどうやって国力をはかったのかは書かれていないが、多分人口などが目安になったのかもしれない。そして負担金はアテネの役人が徴収してまわるという、こうなるともうシステムと呼べるレベルに変更された。同盟に参加している都市にはアテネの通商センターも造船所も開かれていたということで、軍事同盟+通商条約というような色合いになっていく。
現在の感覚で言うとアテネの傘の下に300以上の都市が入っているということになるのだろう。覇権国家の意向には逆らえないのは昔からなのだなぁ。しかし、造船所や通商センターが解放されていたという事は、同盟国内はアテネ式に変わっていったのだろう。船がすべてアテネで作られるようになるということは、同じフォーマットになるということなのだ。同盟内の船であれば同じように操作できたのかもしれない。文化的にも近しくなっていくのだと思うが、民主政体は伝播したのだろうか?他の都市がどのような政体だったのか書かれているとよかったのだが。
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