アルキビアデスとペリクレスの差は運が大きいと著者は考えている。4カ国同盟を成立させた後ペロポネソス半島の北西部に進撃して占領してしまう。これはどう考えても運ではなく余計な事だったと思う。翌年ストラテゴスに選ばれなかったのもアテネ市民がこの行動はまずいと思ったからだと思う。著者はライバルのニキアスによる妨害と推測しているが、スパルタやなによりコリントを刺激してはただでは済まない。アルキビアデスがスパルタとコリントを挑発して直接対決を狙ったとしても独断専行すぎてだれもついていけなかったのではないだろうか。
翌年4カ国同盟の参加都市のアルゴスが軍事行動を起こす。アルゴスも民主政の都市でスパルタからすると信用ならない都市だった。民主政の影響が自国に及ぶことをなにより恐れているからだ。『マンティネアの会戦』が起こりスパルタ軍対4カ国同盟軍が戦った。スパルタ軍は戦死者ゼロ、4カ国同盟軍は甚大な被害を出して敗戦した。アルキビアデスが指揮に加わっていたら違う結果となっただろうか?
4カ国同盟は解消させられ、アテネ市民はニキアスとアルキビアデスを糾弾する。この二人がこの時ばかりは協力し、扇動者を陶片追放してしまう。この陶片追放が不評だったようで、これ以後この制度は廃止される。
戦後の対応でニキアスとアルキビアデスの違いが描かれる。またアルキビアデスとソクラテスの関係も描かれる。ニキアスの発案でメロス島という小さな島を残酷な形で占領し、アテネの劣化を証明してしまった。せっかくスパルタと休戦したのに建て直すことが出来なかった。まずはカルキデア地方の再服が優先事項だったろうに。この時期に血気盛んな30代だったのはアルキビアデスにとっては運がなかったと言えるかもしれない。
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