『第四の駅 哲学の三つの事件』次は西洋哲学だ。『西洋哲学史上、重要な哲学者が3人いる(3人しかいない)。プラトン、デカルト、ヘーゲルである。』3人というのは多いのか少ないのか、この人選はなんとなくわかる。この3人の主張を否定する形で哲学の歴史は作られてきたという。この3人が展開した自説がそれほどに異質で受け入れがたいものだったのだろう。 ジジェク氏の観点は〈事件〉なので事件性のある部分に話を展開していく。
『支線4.1 真実は痛い』まずはプラトンの話。プラトンと言えば『イデア論 』のことか。イデアの世界は永遠不朽で現実とは異なっているという解釈ではとらえきれないとし、イデアとの出会いは恋のようなものと例える。善悪を超えた絶対的なものが突然現れる、圧倒的である。現代の若者たちの出会い系サイトと利用は恋に落ちることを避けているのではないかという説も紹介されている。恋愛至上主義だった私の若いころは何だったのか、と思えてくる。
イデアの話に戻ると、イデアとは何かという点が説明される。『永遠のイデアは現実を通して輝き、現実の中にあらわれる』なにかものを見た時にそういうものが見えることがあるらしい、本来こうあるべきものの姿ということだろうか。プラトンの間違いとして『イデアが完全に仮想的で、非物質的で、事件的だ』と指摘している。プラトンはどこかに実際にイデアの世界があると言っていたのか。
『イデアは、物の表層に瞬間的にあらわれる。 』というのはひらめきのようなものだろうか。『外見には真実性がある』といわれて思い出すのは人は見た目が9割という本があったなぁ、あれはイデア論であったのか。一瞬垣間見える『絶対的なるもの』はもろくはかなく、日常的な現実こそが堅固なものであるとしている。
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