2021/7/6 「事件! 哲学とは何か スラヴォイ・ジジェク 河出書房新社」

2021年7月6日火曜日

ジジェク 河出書房新社 哲学

t f B! P L

  『第二の駅 幸福なる罪過』という章。プラトンのイデアの話からはじまるがどうもイデアの話ではないらしい、分類の話のようだ。全てにおいて全き分類などないという話から、『堕落』というキーワードが出てくるがどうしてそうなるのかよくわからない。

神的な「言語一般」に対して、嫉妬や権力闘争などで『堕落』した人間の言語という対置がされている。やはりイデアの話になるのか、と見せかけておいてキリスト教の話になる。『キリスト教は最初で唯一の〈事件〉の宗教である』『他の宗教では、人間は神から堕落したものである。キリスト教においてのみ、神自身が落ちる。』これはキリストの受肉の事を指しているらしい、確かに特殊だ。なぜ人間にならなければならなかったのか、原罪の元となった事件自体がそもそも不可思議だ。イヴがリンゴを食べるよう勧めたことで、一見堕落したかのように見えるが、実は全知全能の神がこれを知らないわけはないのだから、神自身も共犯ではないかということである。キリストが地上に降りてきて救済をするために故意に堕落させたという話になる。

この困った設定についての回避策は原罪とはなにかという点を考えることにある。善悪の判断が出来るようになること自体が罪なのだ。ただ善悪の判断は経験しないとできないので、毎回必ず正しい判断をするとは限らない。むしろ間違った判断をして初めて正しい道がわかるというしろものらしい。

そして間違った選択から見えてくる理想については、間違った時の経験が作り出している理想像にすぎない。この理想というものについては実際に経験してみなければ本当に正しいかどうかわからないという事についても留意しておく必要がある。

そしてここから最新科学の話になる。ビッグバン理論と量子力学の話があるが、特異点とか対称性の破れという現象についての記述が続く。 このあたりがどう関係するのかよくわからなかったが、ローマ法王の話は面白かった。

そして最後に坂口安吾が出てくる。坂口安吾まで読んでいるのか!と思ったら、注を見ると柄谷行人の本から引いてきている。ともあれ『堕落』ということであれば坂口安吾なのか。坂口安吾のいう『堕落』とは『デカダンス』のことではなく、『他者にさらされ突き放されてあること』という。これはきついだろうな。

QooQ