『第一の駅 フレーム、リフレーム、エンフレーム』という名前の章。冒頭第二次世界大戦末期のヴィシー政府の振る舞いが書いてあるが、日本向けの序文のなかにあった臣道連盟とそっくりだった。ただし、ヴィシー政府の方は法的には正当な政府なのだが。
ラムズフェルド国防長官がイラク戦争の時に話した内容から哲学の主題へと話が進む。『知っていることを知らない』ということが哲学の主題であるという。『現実経験の超越的地平、あるいは枠組みを形成している。』、理解の枠組みが変わることで関わり方もかわる。こういうことが事件というものらしい。これは世界の側で起きるのではなく自分の中で起きることだ。
フィクションにより間接的に枠組みを変えることで真理を述べることができるとして、これをリフレームという風に呼んでいる。いろいろ映画の例からリフレームについて語られるが、どうも見たことない映画ばかりで正直よくわからない。あらすじは書かれているのでそういう映画か、と読むしかない。ジジェク氏は相当な映画好きなのだろうか。
ジジェク氏の例に出す映画がリフレームの限界で全面的な破壊となってしまった為、再度問い直しを行う。フィクションから幻想へシフトしていく。『われわれは基本的幻想との間に距離を置くことができるか』という問いへ変わる。
幻想とは『いかに欲望するかをわれわれに教えてくれるもの』としている。これでは距離をとるなど無理な話ではないかと思う。目指しているのは俯瞰するという事ではなく、幻想と一体化し幻想を通り抜けるということらしい。どういうことかというと幻想というものは普段はいわば無意識下で構造化され機能しているもので、これを意識した時点で機能を失ってしまうという。どうも理解の枠組みの奥底には幻想というものが潜んでいるらしい。なんとなく仏教っぽい。
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