2021/7/14 「事件! 哲学とは何か スラヴォイ・ジジェク 河出書房新社」

2021年7月14日水曜日

ジジェク 河出書房新社 哲学

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 『第五の駅 精神分析の 三つの事件』前の哲学に引き続き、ここでも支線が展開される。ラカンの『想像界、象徴界、現実界』になぞらえて展開していく。

『支線5・1 〈現実界〉-〈物〉に直面する』『神的な〈物〉との外傷的遭遇が〈現実界〉としての事件』としている。旧約聖書のヤハウェの恐ろしさを描き聖書はいかにして神と距離をとるかというようなアプローチをしているという。旧約聖書を読んだことがあるが、どうしてこの神様はいろいろちょっかいを出してくるのかと疑問に思ったことを思い出した。聖書は法という形で神の手から介入する権利を奪ったという。神が決めた法を神が破ることができないようにした。まぁ本当にそんな厄介な神様がいたわけではなくて、人間がトランス状態になったり、乱痴気騒ぎをしたり、神がかったりする訳だ。

そして法の方はというと、そういうことは俺の知らないところでやれ、という寛容さを持って対応する。たしかに決め事ばかりでは息が出来ない。

〈物〉とは何だろうかというと、祝祭とかトランスとか乱痴気騒ぎとか古い神々が現れ出てくるような欲動のことのらしい。『江南スタイル』の事が書かれていて驚いた、これも〈物〉との出会いであるらしい。『集団トランスと自己皮肉を合体させている』ということだ。この曲が流行った時に乗れなかった私はあまり欲動向きではないのだろう。

欲動という言葉が出てきたので性的な話題になっていくが、この章の最後の文が良くまとまっている。『今日、伝統的に愛を特徴付けている三つの次元(生殖、性的快感、愛)の結び目が少しずつほどけてきたように見える。生殖は遺伝子工学に委ねられ、性交は不要になってきた。セックスそのものが娯楽に変わりつつある。愛は「感情的充足」にすぎなくなってきた』この三つの次元のうち享楽と愛が重なり合うことで性行為は〈事件〉になるという。しかし、そうはいっても愛という物についてはどれくらいの歴史があるのかとも思う。


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