意識どうしが出会うと互いに自己を承認させるという闘争があるらしい。「主奴論」というのはどうもよくわからない。西洋の歴史をなぞるように精神の発展史を描くという目的もあったのかもしれないが、そうなるとやはり西洋のものだよなぁと思う。
「主奴論」から展開していって「絶対的帰依」までいくわけだが、これもピンとこない。自己を承認させようとして始めたことなのに結局他の意識に承認されても満足が得られないのだろうか?
自分の中にある理想と現実認識の差についても、もともと自身の中の理想自体が自身が作り上げたものだという理解が前章であったように思うが、どうしてこの章ではそのことがなくなってしまうのだろうか?
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