精神の現象学だから初めは認識の話になるのね。認識と言えば最近読んだ「今なぜ仏教なのか」でも認識の話から始まっていたなぁ。ヘーゲルの時代だと東洋思想は紹介されていたのだろうか?
伝統的に真の存在と認識された存在の間のギャップは埋められないという問題があったわけで、プラトンの”イデア”みたいな話だと思うのだが、カントあたりまで引きずっていたようだ。
ヘーゲルの”弁証法的認識論”で2項対立の解消が出来たということのようだ。
毎日何を読んだか記録しておきたいと思っていたのでやってみることにしました。 メモなので書かれていることはとりとめのないものになります。 ネタバレあります。
精神の現象学だから初めは認識の話になるのね。認識と言えば最近読んだ「今なぜ仏教なのか」でも認識の話から始まっていたなぁ。ヘーゲルの時代だと東洋思想は紹介されていたのだろうか?
伝統的に真の存在と認識された存在の間のギャップは埋められないという問題があったわけで、プラトンの”イデア”みたいな話だと思うのだが、カントあたりまで引きずっていたようだ。
ヘーゲルの”弁証法的認識論”で2項対立の解消が出来たということのようだ。
読書のメモ
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