自制という行為についても論理的な思考をしている訳ではなく、望ましくない情動に対して反対の 情動を持ってくるというような仕組みらしい。
望ましいという基準にしても遺伝子の保存と拡散という観点に起因しているものだ。短期的に望ましいこと(食べたいとか)と、長期的に望ましいこと(食べすぎないとか)が衝突することで葛藤が起こる。
その様な葛藤が意識されるのは結局意識というものは対外的な広報官のようなもので、他者に対して理由付けをする必要から葛藤するところを見せられるらしい。社会的な生き物には他者に対する名分が必要で、他者が納得できない行動は遺伝子の保存と拡散という目的から不利になるという理由のようだ。
こうしてみると本当にプログラミングされているものなんだなぁ。
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